AIに代替できないものが気になる

AIの発展を見ていて思ったこと。

作業はAIに代替される。仕事で頑張ってる資料作成なども、いつかはAIに任せて、作ってくれたものを微調整する、といった形になるんだろうなと思う。

ただ、書道は大体できないな、と思った。書道の作品作りが大変だということを話していたら、彼氏が冗談半分に、「フォントでいいじゃん」と言ってきた。そういうことじゃない、と反論したのだが、ふと反論を真剣に考えると、書道の「瞬間性」がAIが生成するものに決して代替できるものではなく、自分自身もその瞬間的で偶発的な成功に魅力を感じているのだと思った。

理想の形を頭に入れて、形、線の長さ、太さ、筆の向き、筆運びのスピード、あらゆる要素を考えながら書いているのはもちろんだが、その上で瞬間的な偶然が必ず発生する。たまたま線が潰れずに白い余白ができたとか、たまたまかすれが上手くいってかっこいい最終画になったとか、そういった瞬間的なものを求めて、期待をして、何枚もの紙に向かう。「次書いたらうまくいくかもしれない」と思えるのだ。

書道は作業じゃない。作品を作るまでの工程に意味があり、決して計算で作られるわけではない瞬間的な偶然に魅力がある。AIの発展を見ながら改めて価値を認識できた。