師の教えが気になる

ようやく書道が終わった。長い戦いだったので、安堵感が大きい。

 

打ち上げの席で、先生が仰っていて印象的だったことがいくつかあった。

一つ目はコミュニティについて。「コミュニティが沢山あるほうが幸せだとは言わないけど、コミュニティがいくつかあるというのはいいことなのではないかと思う」

まさに、私の場合は会社以外のコミュニティを持つために書道を続けている。自分より4.50歳上の人たちと対等な関係性でいられるというのも、貴重なことだ。みんな体力的にも精神的にも大変な思いをしながら書いているけど、それを分かち合いながら取り組んでいる。私にとっては異様であり、重要なコミュニティだ。

 

2つ目はセンスの客観的な伝え方について。一般的に芸術は「見て学べ」「センスを習得しろ」と言われるけれど、「力強い」「趣がある」といった言葉はすべて主観的なもの。教師として、センスを言語化する必要が出てくる。例えば「線は5センチ左に」「右上は余白を空ける」など、客観的な言葉で、誰にでも共通する尺度で示す必要がある。こうした言語化能力が、センスを伝え養うには重要だ、という話。

 

3つ目は枠を超えるということ。

先生はお手本を書く際に「こんな書き方もあるのか」と、生徒が驚くような書き方をわざとすると仰っていた。生徒が細い文字で綺麗に書こうとしているような場合には、先生は思いっきり太い字で書く。綺麗に計算して書いているような場合には、思いっきりバランスを崩して書く。

たしかに、先生にお手本を書いてもらうたび、毎回感嘆する。上手いとか美しいとかでもなく、驚くというのが近い。今まで思っていた正解と全く違う正解を、「こういう書き方もありますよ」と見せてくれるわけなので、一気に世界が広がる。私はその瞬間が好きだし、ワクワクする。

一方で、私は先生の字が好きだけど、題材やその時のテンションによっては「もう少し違うように書きたいな」とか「ここは好きだけどこの部分はなんか違うな」とか、自分の好みに照らし合わせてしっくりこない時もある。その時は先生のお手本を参考程度に、自分なりに試行錯誤する(そうして一周まわった後、結局先生のお手本の書き方に戻る時もある)。

つまりはお手本を与えられてもなお、それ通りに書こうとしないこと、さらに枠を超えて考える必要があるということだ。私が心がけていたことを、先生も仰っていたので安心した。

 

ひとまず、約2か月間の戦いはおわり。お疲れ様でした。