未熟なもののアウトプットが気になる

最近、アウトプットをすることの重要さをひしひしと感じている。

兼ねてよりアウトプットの重要性については認識しており、このブログでも書いてきた。しかし、これまで認識していた「アウトプット」と、最近認識したそれとでは質が違う。これまで認識していた「アウトプット」は、誰かに話したり、ブログに書き起こしたり、SNSで発信したり、という思考整理の一種のものだった。

今回認識したアウトプットとは、「未成熟なものであっても成果を知らせること」である。というのも、最近私は或るアート展に応募した。正直完全にノリだった。たまたま見かけたSNS投稿でそのアート展を知り、応募プロセスがあまりにも簡単だったので必要事項を入力して軽い気持ちでポチッとしただけ。応募資格はクリアしてるし、応募できる作品は手元にある。なんとなく成功筋はイメージできていたが、細かいことは後で考えよう、なんとかなるだろう、と勢いだけで申し込んだ。

こんな軽い気持ちで応募したのだが、そこからはまた勢いだけで選考過程をクリアして、無事展示会の参加資格を得た。

以前はプライベートの趣味活動をあまりSNSで細かく発信していなかったのだが、せっかくの機会、今回はしっかり発信した。親しい友達だけでなく、旧友、同僚、ご近所さんまでにも。

そうしたら、予想外に沢山の人が応援してくれた。高校や大学の友達、幼稚園の時の友達のお母さん、家族の知り合い、、様々な方面の人たちがメッセージをくれた。それだけに留まらず、友達が作品を注文してくれたりビジネスアイデアに繋げようとしてくれたりしている。

当初は完全にノリだったのだが、このアウトプットがなければ見えなかった世界だったと思う。今までだったら、未熟で人目に晒すものではない、とか送料がかかる、とか何かと理由をつけて躊躇っていただろう。でもある程度自分の作品に愛着があったからか、自信があったからか、行動を起こせてしまった。

完璧でなくていい、未熟なもののアウトプットでも、その一歩を踏み出すことが重要で、その先の新しい挑戦に繋がるのだと感じた。私にとってアート展への出品は単なる出品以上に大きな収穫があった。