会話のキャッチボールが気になる

昨日、12人くらいの飲み会があり、大事な”解”にたどり着いた気がした。

私は大学時代から、大人数での飲み会が結構苦手だった。大人数の飲み会だったとしてもせいぜい4人くらいで話すのが心地がいいと感じていたし、なんなら2人で話していたいと思っていた。

大人数の場では、自分が話さなくても場は回るし、自分のターンでみんなの集中が向けられるのも苦手なので、それなら聞き役に徹しておこうというのが常だった。聞き役といいながら、興味のない話はあまり聞いていなかった(これも今思えば、もっと他の人に興味を持つべきだった)。そんなわけで、今でも自分が飲み会という場で前に出て話すことは多くない。

昨日の飲み会は、話のネタが豊富でめちゃくちゃ面白い同僚の人と、他社の複数人を交えた飲み会だった。そこで私はどうしても話したいネタがあって、ずっとそのネタを話す機会を伺っていた。だが、みんなよく話す話す。会話は止まらない。

私は自分の持ちネタを用意したまま、一向に話せない。今このネタを出したら話が脱線してしまうからもう少し待とう、と構えてしまったり、この文脈で話そうと思った時に次の人が話し始めて少し話題が遠のいてしまったり。そんなことを考えていたら、そのネタを話さずに会が終わってしまった。

でも、この一連をずっと戦闘態勢のまま見ていて、気づいたことがあった。それは、みんな文脈やタイミングなんてまったく考えていないということ。他人の話を聞いて思い出したことをすぐ口に出すし、文脈に関係ないネタも平気でぶっこんでくる。かと思ったら元の話に戻ったりもする。思いついたまま、どんどん話すことで話が広がっていくし、論点が移り変わっていく。

私は「今これ話す必要ないな」とすっと引いてしまうのだが、頭に思い浮かんだ時点で「どんどん話のテーブルに載せるべきこと」なのだと思った。それを提示せずに頭の中に留めておくことほど意味のないことはない。みんななんでも頭に思い浮かんだことをぶっこんでくる。会話のキャッチボールなんてよく言うが、大人数の時にはうまいラリーなんて存在せず、ボールをいろんな方向から投げ合って、たまにキャッチする、といった感じだと思う。

それにやっと気づいて、次回からは自分の中のストッパーになっていたものが少し外れる気がした。本当にやっと気づいた。。。