自己肯定感が気になる

このブログを書くことが一種のエスケープの方法というか、落ち込まないようにするための心の支えになってる気がする。眼帯の粘着のせいで、洗顔もできずに肌がボロボロになって、メイクもスキンケアもできずにボロボロの顔を鏡で見ないようにして1週間過ごした。楽しみにしてたお花見もできずにこのまま桜が散っていってしまうんだろうな、と思って、みんなが春を謳歌してる土日は辛い気持ちになる(とはいっても、明日からも休みなので、月曜日の嫌な気持ちがないと思えばトントン、むしろプラスだとも思う)。 "自己肯定感"という言葉をいつからかよく目にするようになったけど、正直この言葉が嫌いだった。自己肯定感というものをいちいち考えたり自覚する必要がないと思っていたし、無理に上げるものでもないと思っていた。でもやっぱりここ数日落ち込んだり無力感を感じる時もあって(1日の中でも時間によって刻々と気持ちが変わる)、自己肯定感を感じられるものを必死に求めている自分がいることに気づいた。そのうちの1つはこのブログを書くこと。自分が感じたことを書き連ねるだけで気持ちが落ち着いたり、文章にしている間は無力感から逃避できる。2つ目はお習字のことを考えること。数日前までお習字に費やす時間を邪険に思うほど意味を見出せていなかったけど、振り返れば何か自分が対外的に記録として示せるものはお習字くらいしかない。となった時に、やっぱり自己表現をするライフワークとして今後も取り組んでいきたいという思いが強くなった。3つ目は英会話。今更ながらだが、単純に海外の人とコミュニケーションすることの楽しさを思い出している。毎日25分と時間が決まっていて、1つの習慣として自分の中で重要度高く認識して続けられている(といってもまだ3日笑。こういうのは1回でもパスしてしまうとそこから習慣が崩れる、、)。受講後の達成感で、今日もえらいぞ、と自分に言い聞かせられる。 こういう自己肯定感を感じられるものが何かを自分で認識して、(今はすごく些細な事柄だけど)それを積み上げていくことが大事だと思う。さらに、もっと他にできることはないかと考えていけたらいいな。 今は本当に現実の制限からのエスケープの一端でしかないんだけど、まあ、エスケープが必要な時期だからこそ、たぶん人生において重要なことを認識できたんだと信じて。この時間も無駄じゃないと思いたい。本当は今日みたいな天気のいい日にお花見したかった涙