恋愛が気になる

更新頻度が開いてしまったが、このブログのことを忘れたわけでもなく、少しの時間を見つけては思ったことを綴っていた。下書きの記事を開いてみたら、数週間前に書いたポストが。読み返すと恥ずかしくなるけど、こんなことを思っているのも今だけだと思って投稿する。

 

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林真理子さんの「美女は天下の回りもの」を読書中。旅行やダイエット、買い物など日常の中で感じたことを綴ったエッセイ。林真理子さんの作品を読むのは初めてだが、自分の体型など自虐を加えながらも芸能人や周囲の人に対して思ったことをストレートに書いており、読みやすく娯楽として楽しく読んでいる。

 

この本のメインテーマではないが、恋愛における幸福感について共感できるところがあった。その中には、友達や趣味や食べ物だと恋愛のような幸福感は味わえない。「生きていてよかった!」と心から思えるし、逆にそれを失うことになると「生きていても仕方ない」と思うくらいつらい、と書いてあった。(でもそれを乗り越えて新しい人に出会ってまた同じことを繰り返すうちに年をとっていくという話)

 

私は本来恋愛には結構な依存体質だったが、最近はなんとか依存せずに仕事でも趣味でも他の軸をもって自分を見失わないようにしようと思っていた。精神的に自立して重い女にならないようにしよう、と心掛けていた。そうすることに、今もとても必死になっている。

実際は気にしないようにと装っても相手からの連絡に一喜一憂してしまうし、これから先の人生に一緒にいてくれれば自分は一生幸せでいられる気すらしてくる。それがもしも失われるのであれば、生きていても仕方ないという気分にもなる。自分一人で楽しめる時間や趣味を作ろうと、習い事にもたくさん通ってなんとか自分を奮い立たせているが、結局は今の私はすべての未来を一人に懸けている。

 

そんな自分が怖いと思っていた。依存でしかなく、失うことになればまた林真理子さんが言うように、また悲しみを乗り越えて繰り返していくしかない。

だけど、この文章を読んだ時に、少し救われた気分になった。恋愛とはこういうものだと。こんなふうに思える人に出会えたことも幸せだと思った。いつか失うことになれば、過去の恋愛で繰り返してきたように、なんであんな人が好きだったのかと冷めて、一緒にいた日々を何とも思わなくなる日が来るかもしれない。でも今「生きていてよかった!」と思える時間を与えてくれていることには変わりない。いつか忘れてしまうのかもしれないけど。美味しいご飯を作って、自分を素でいさせてくれることに感謝してる。