余白が気になる。

↓は1か月前に書いていた文章笑

同じようなことばっかり考えている笑

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余白って大事だなという話。

clubhouseでどのルームに入ろうかとタイトルを眺めている時、気になったのが「コーヒーと余白」という文字の並び。

私は一人の時間は取れているほうだ、というか誰との予定もない暇な時間を持て余しているほうだ。「ひとり時間をとったほうがいい」という本を見かけてふむふむ、と思いながら読んだ記憶はあるものの、いざ一人になると「ひますぎて誰かに会いたい!」となってしまう。読書をするにしても動画を見るにしても基本的に集中力が続かないし、気づいたらSNSを見て無意味な時間が経っていた、、がーん。となる。せっかくひとりの時間を作っても、費やした時間に対して得られる満足感が極端に低い。

休日は、家にいるとダラけた性格のせいで必要以上に寝てしまうので、カフェに行くのだが、そこで何をするという目的はないので、結局携帯をして、動画を見て数時間を過ごし、結局「ひとり時間疲れ」する。「ひとり時間」は時間の浪費でしかない。

たぶん、本に書かれていた「ひとり時間」は「日々の喧騒や雑念を断ち、これまでの自分の行動ややりたいことを振り返るための余白の時間」という定義だろう。だが、私はやりたいことが特にない。習い事をしたり、ピラティスをするのは好きだけど、それはマイナスをニュートラルに戻すためにやっているという意識があり、プラスに転じるほどの大きなエネルギーを有しているわけではない。

 

そんな私が、「余白」の意味に気づき始めた。

お気に入りの作家のマグカップを買った。ぬくもりのあるマグカップ。コーヒーを注ぐだけで、優雅なひと時になる。美顔器も買った。毎日5分。傍から見ると面倒に見えるのだろうが、私は毎回ウキウキしている。自分の肌に手をかける5分間。余白ってこういうことだろう。単なる「ひとり時間」ではない。お気に入りのもの、お気に入りの空間、お気に入りのライト、お気に入りの匂い。。。そういったものに包まれて、好きなものを独り占めできる時間を「余白」と呼ぶのではないだろうか。