謙遜が気になる

数年前に明治神宮に初詣に行った時、おみくじを引いたら、「謙遜」と書いてあった。

明治神宮のおみくじは、大吉とか小吉とかそんなことは書いてなくて、ただ格言が書いてある。その年、心構えておくべき言葉が書いてあり、1年間何となく心に留めている。(ちなみに今年は「努力」。努力なくして成功なしと言われた)

 

最近不思議に思うのが、どこからどう見ても才能があったり、人より優れている部分があると思う人が、謙遜なのか、自己評価が低いということ。

就活の時に、この子は高校で全国大会にも出場しているし、余裕でいいなあと思っていた子が、私ESに書くことなくてどうしよう、と言っていて、目が飛び出るかと思った。

「え!大会で賞もらってるし、書くこといっぱいあるじゃん」というと、「いや、でも大学ではぺーぺーだから書けない」と本気で言っていた。私にはわからないすごく高い世界で戦っていて、自分の凄さを忘れてしまったんだ、と思った。

高いところに行けば、そこにはさらに上の人たちがいて、またそこから戦って高みにいかなくてはいけない。一般人とは戦っている土俵が違う。現状に満足しないのは、高い目標を持っているからこそだ。

 

もう一つのパターンは生まれ持った環境に恵まれていて、その特異性を感じていない人。

例えば高校時代、英語がペラペラの帰国子女が周りにいっぱいいたけど、みんな特段それをひけらかしていなかった。たぶん当人にとっては英語を話せることが当たり前のこと(みんなそれぞれ小さい時に苦労したのだと思うけど)で、その凄さを特段感じていないのだと思う。

見た目や性格もそうだけど、生まれつきの標準装備だと、なかなか自分のよさに気づかないのだろう。天才は周りに言われないと自分が天才だと気付かないらしい。

 

自分を知るには、仲のいい近い人に他己紹介をしてもらうのがいいと聞いた。以前このブログでも、「強みを友達に聞くといい」という話を書いたが、自分がどう見えているのかを他の人に聞くことは、自分の良さや特徴を再認識することにつながると思う。

つまり何が言いたいかというと、自分の良さに目を向けて誇りを持つことも大事だということ。

 

・・・・と、また「謙遜」とは程遠い感想を持ってしまった。

神様から謙遜しなさいって言われたんだった。